江東区ってどんなとこ?
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0
名前:
名無しさん
:2006/12/28 07:42
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どんなとこ?
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21
名前:
匿名さん
:2008/02/29 12:30
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まあ、住んだことない人にはこの町の魅力はわからないね。
自転車があればどこでも行ける。
世田谷とか杉並なんかよりはずっといい町。建物は古くても地価は高い。
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22
名前:
匿名さん
:2008/02/29 13:23
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群馬県の市名と京都府の市名を合わせた神社がある。
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23
名前:
匿名さん
:2013/02/08 17:46
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最低賃金アップで経済効果 中小に利点、労働総研試算
全労連系の労働運動総合研究所(労働総研)は26日、
賃金の最低限度額を定める最低賃金(最賃)を時給1000円に一律で引き上げた場合、
消費が拡大し、国内の生産額が年間約2兆6000億円増えるとの試算を発表した。
最賃引き上げは中小企業の経営に打撃を与えるとされているが、
労働総研は「消費拡大の効果はむしろ中小企業に顕著に表れ、利点は大きい」と分析している。
労働総研は厚生労働省の統計から、現在1000円未満の時給で働いている労働者を約683万人と算出。
全員を1000円にすると賃金支払総額は年間約2兆2000億円増える。
このうち税金や社会保険料などを差し引くと消費支出が1兆3000億円増え、波及効果で国内生産額の増加につながるという。
労働総研は「低所得者層の消費は食料品や服、教育関連に向かう割合が多いが、
こうした産業は中小企業が支えている」と説明している
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24
名前:
匿名さん
:2013/05/11 06:07
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江戸時代初期は、埋め立てや治水、新田開発が盛んだった。
中期以降は、問屋、倉庫街として発展。森下〜門前仲町(隅田川沿い)は、
お江戸の下町として栄えた。
神社・仏閣が今も多い。
紀伊国屋門左衛門や松尾芭蕉(生まれは浜町)、伊能忠敬が住んでいた。
江戸中期の改革者・松平定信もこの地に眠っている。
明治に入ると、急激に工業化が進む。
昭和中期まで、空が灰色の町としてあまり印象が良くなかった。
23区のゴミ処理を一手に引き受けて、埋め立てた夢の島等が有名。
昭和中期から末期にかけては、治安が良いとは言えない街だった。
ただ、ここ30年は、工場が移転して、その大きな敷地に
大規模マンションやショッピングセンターが立ち始め、
一気に“都心に近いベッドタウン化”する。
都心に近い分、東京東部エリアでは、地価が高く、
新たに住む人はそれなりの社会階級の人が多い。
総武線や東西線はラッシュ率が日本国内でも屈指。
その分、都心や副都心エリアへの鉄道・地下鉄の利便性が高い。
都心には乗車時間10~20分で行ける。
治安は、20年前よりだいぶ収まり、社会的にスマートは人種が増えている。
(家賃やマンション価格が高いため)
工場跡地に大規模ショッピングモールができ、
日曜はそこらで過ごす家族も多い。
昔ながらの区民は深川エリアを中心として、
お江戸下町文化を大切にしている。
ただ江東区と言っても、エリアで全く印象が違う。
門前仲町エリア(深川エリア)・・・
神社・仏閣が多く、お江戸情緒が残る商業エリア。
昔ながらの江東区民にとっては憧れや住みたいと思う人が多い。
深川めしが郷土料理、深川ブランド感がある。
東陽町エリア・・・
区役所があり、またお菓子のM社、大手スーパーD社の本社があり、
サラリーマンが多い。繁華街性は低いが、スマートな感じがあるエリア。
亀戸エリア・・・
墨田区の錦糸町とセットで副都心に指定されている。
繁華街性が強い。駅には若者が多く。
時々、事件でその名前を聞くこともある。
商業モールもあれば、亀戸天神(学問の神様)などがある。
臨海エリア(豊洲・東雲・有明)・・・
I社やM社の工場跡地に、高層マンション群が形成され、
マンション価格は5000万クラスで、
上流階級が都心に近いハイレベルマンションとして住んでいる。
亀戸や東陽町、深川エリアとは交通がほとんどなく江東区としては浮いた
エリア。
もともとそこに住む人は江東区民としての愛着はあまりないと思われる。
工業エリア(新木場・辰巳一部・青海)・・・
区民にとっては忘れ去られているが、江東区の中でも未だに多くの
面積がある。住居が規制されているので、行く人はほとんどいないが、
働いている人は多い。昔ながらの木材問屋も斜陽で統廃合も多い。
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25
名前:
匿名さん
:2013/05/11 06:07
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運送会社の拠点
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